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店長の十川です

書道の習い初めに

書道は文字の芸術


書道は、主として筆、墨、硯、紙を用いた芸術です。
油絵や彫刻などとは全く違って、あくまでも文字を書くところに、その特徴があるといえます。

ただ筆、墨、硯、紙を使って、絵を描くように自由気ままに書くのとは違います。あくまでも文字を書くのですから、まず正しい文字の書き方を覚え、それから自分なりの筆法を生み出していかなくてはなりません。一つの文字でも、書きようによって、いろいろな感じの文字が書けます。

美しい字、正しい文字といっても、人のセンスや好みによって見分けが違いますから、どれが正しいお手本であるかということは、一概に言えません。

書道を習得していくに当たって、まず一番大切なのは、自分の好みの筆跡を選び、正しいお手本を基にして学習していくことです。
お手本選びが勉強の第一歩となるわけです。そこで書道の学習には、まず、書道の大家とされる個人の残した古典から、好みの筆跡を選択して、その筆法を正しく学ぶことが第一の要件になります。

古典に学ぶ大切さ

古典とは、長い年月の間多くの人々の目にさらされ、優れた名作として選び抜かれたもののことです。現代のあらゆる有名な書家も、すべて古典を十分に学び独自の筆法、書風を編み出しています。古典を十分に学んだ人ほど、作品の奥は深く、何十年眺めても飽くことの無い名作を生み出すことができるのです。

書道の歴史 --漢字について

太古の昔、洞窟の壁に動物の形などを刻んで記録をした時代から、やがて文字が生まれるようになってから、書きやすい用具がいろいろと工夫改良されてきました。用具の発達とともに文字もいよいよ発達・完成されそれがまた用具の発達を促しました。

西欧では記号のような文字が生まれ育ち、東洋では漢字や仮名が生まれましたが、これらの文字の違いは、用具の発明や発達の違いと深く結びついていると思われます。

今日、独特の東洋文化をはぐくんできた東洋の漢字は、遠い太古のむかし、中国の黄河流域で発明されたといわれています。

初めは石や鉄片などで、岩や獣骨に彫り付けていましたが、やがて木や竹の先をとがらせ、あるいは焼いたり叩いたりして先端をさばき、文字を書くようになりました。

これが筆の発祥となるのですが、秦の始皇帝の時代に蒙恬(もうてん)将軍という人が、獣毛を使った筆を作って献上し、これが今日の筆の始まりとされています。

一方、筆に付ける墨や墨をする硯も発明され、用具の発達に伴って、複雑な線描を書きこなす漢字が完成されてきたのです。

五書体の完成

用具・用材の発達につれて、新しい書体が生まれ整い、やがて春秋戦国時代には、篆書から〈隷書〉という書体が生まれました。「書体」という意識が生まれたのは、このころであったとみなされています。

〈篆書〉

篆書

環の時代になると、文字はいよいよ様式化され、形を整えて、八分(はっぷん-漢隷)という書体が生まれました。

〈隷書〉

隷書

秦の時代にの三体が完成し、篆・隷と合わせて五書体が揃いました。

〈楷書〉 王羲之 蘭亭書

行書

〈草書〉王羲之 十七帖

草書

〈草書〉 王羲之 王献之尺牘集

草書

〈楷書〉 唐代三大書家のひとり虞世南の書

楷書

 唐代三大書家の欧陽詢 〈九成宮醴泉銘之碑〉

楷書

唐代三大書家の褚遂良〈雁塔聖教序碑〉

楷書

顔真卿〈顔氏家廟碑〉

楷書

五書体が整うようになった頃、文字は単なる言葉の伝達の手段だけでなく、筆の流れや墨色のリズムやバランスによって生まれる美的感覚が尊重されるようになり、鑑賞の対象とされるようになりました。

書道の歴史 --かな文字について

日本に文字が伝えられてのは、中国文化が絢爛雄花開いた隋・唐の時代でした。日本にはまだ文字は無く、こみにゅけーションは全て口頭で行われ、語部(かたりべ)による伝承が記録の役目を果たしていました。

最初に文字を日本に伝えたのは、王仁(わに)という中国の僧で、彼は朝鮮を経て《論語》十巻と《千字文》一巻を日本に持ってきました。以来日本でも、漢字の学習が行われるようになりました。

そして、漢字を基にした漢詩が詠まれるようになり、書写や記録に漢字が使われました。平安時代の初期には、空海橘逸勢嵯峨天皇の三人が代表的書家とされ、〈三筆〉と呼ばれています。

かな文字の発明と和様書道

しかし、もともと日本語と中国の言葉は異なるもので、日本語をあえて漢字で表現することは無理でもあり、不便でした。そこで漢字の音訓を借りて、一時一音式の万葉かなが考案されました。

ことに、平安中期、唐の勢力がおとろえはじめたのをきっかけに、遣唐使の派遣を中止してからは、日本文化が急激に興隆し、万葉がなをさらに発展させた日本文字〈かな〉が出現し、書道にも一大革命がもたらされました。

初めは女手(おんなで)と呼ばれて、女性専用の文字として使われていましたが、美しく情緒あふれた〈和様書道〉が完成されたのです。

小野道風、は王羲之の筆体から学んで、やがて豊艶な書風を完成し、和様書道の三蹟(さんせき)の一人とされています。残る二人は藤原佐里藤原行成でこれらの人々の作品と言われているものは、優れた古典として、和様書道のお手本とされています。これに加えて伝・紀貫之と言われる古筆に優れたものが多く、〈高野切〉はその代表とされています。

かな文字に適した和紙の誕生

こうして、日本独特の美しいかな文字が生まれると、筆すべりのいい、〈かな料紙 りょうし〉が漉かれるようになり、料紙の工夫改良によって、さらにかな文字は美しさを増していきます。

また、かなの発明発展に伴って、漢詩に代わる〈和歌〉が生まれ、流行し、かな文字が広く普及しました。

かな文字もまた、長い年月をかけて選び抜かれてきた古典をお手本とするのが、上達の近道です。

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